【ワタルトコウ】 不妊治療〜出産育児の覚書

妊活4年。うち高度不妊治療歴2年。別居も稽留流産も経験。子どもを諦めかけて引越し&猫を飼い始めた所、妊娠継続でき、2021年6月出産しました。

育休を取得した夫と飼い猫の受難

私たち夫婦は職場結婚。二人とも入社して10年以上経ち、やっと子どもを授かった。

中堅社員となっていた夫は育休を1年取得した。古い考えの上司たちは「1ヶ月の間違いでは?」と言っていたそうだけれど、自分の仕事の調整は自分でできる夫。出世欲の無い夫。失うものは大して無いことが分かっているから、上手に取り回して、息子が生まれた翌々日に、私の実家に飛んできてくれた。

「夫が育休を1年取得してくれたの」と私が知人に話すと「旦那さんすごいね(会社と交渉を上手にしたんだね)」とか「しっかりした会社なんだね(制度が整っているんだね/取得できる社風なんだね)」などの感想を頂ける。ま、復帰した後、どこに飛ばされるかわからんけどね、と私たち夫婦は冗談半分・本気半分で思っている。でも育休を取得して会社にどうこうされたとしても、人生なんとかなると考えているのは夫婦で一致している。

 

飄々と難題をくぐり抜けて器用に見える夫だけれど、うまく対処できないこともある。これまで育児中に2回嘔吐し、3回寝込んでいる。

 

夫が嘔吐した理由は、1)私の母が息子を抱っこしたとき 2)息子のうんちの匂いを嗅いだ時。

は? と思う人もいるかもしれない。私がそうだ。え?そんなんで吐くの?でも本人はマジだった。瞬間的に気持ち悪さがこみ上げてきたらしい。そういうものかー、生理現象は対策難しいなあ。

 

寝込んだのは、1・2)夜間のミルクのお世話担当を何日もしていたとき 3)息子が金切り声を出し始めた時。 夜型人間だからと、夜勤(夜中じゅうずっと起きて、明け方に就寝する生活)をし続けていたら、人間は壊れるようにできている。夫は高熱を出してそれぞれ3日ほど寝込んだ。自律神経を甘く見てはいけなかった。2回も寝込んでからは、夜勤生活はやめてもらった。夫婦で揃って、3時間おきのミルクのタイミングで起きてお世話をしている。

金切り声で寝込むのは当初私は「繊細すぎない?」と落胆した。でも、ぎょっとするほど夫は消耗しきっていた。社会人の娘さんがいる知人に、「夫が育児ノイローゼになったみたい」と相談したところ、「私も自分が子育てをしている時は、赤ん坊の声なんてへいちゃらだったのに、自分の子供が大きくなって、他人の赤ん坊のキンキン声を聞くと今はもうどうしても無理なのよ。きっと、産後のママの体には、耐性がついているのかもね」という話をしてくれた。ストンと腑に落ちた。そっか、私が平気でも、夫にとっては、とてもとても耐えられないものなのかもしれない。

丸二日真っ暗な部屋で寝込んでいた夫は、ヘロヘロになりながら出てきた。今もまだ、耳栓をしながら生活していて、息子とは別の部屋で寝ている。

 

猫のコウちゃんは、生後3ヶ月半で我が家にやってきた。最初は人に慣れず怖がっていたけれど、今は私たち夫婦が近づいても怖がることはなくなった。特に、おもちゃやおやつをたんまりくれる夫を気に入り、顔を見るたび構って欲しいとせがんでいる。

 

ところが、今の育児ノイローゼ気味の夫には、コウちゃんの「構って」攻撃がさらに彼を追い込むようになってしまった。今までは都度相手をしていた夫も、もうその余裕がない。コウちゃんが近づけないように、自室に籠るようになった。彼の部屋からかすかに響いてくる足音を聞きつけるたび、コウちゃんは何度も鳴いて呼ぶ。その声が夫を刺激しないよう、私はおもちゃでコウちゃんの気を紛らす。エンドレス。

猫はうるさい場所は苦手だ。人間の赤ちゃんが泣きわめきだすと、耳を伏せて逃げ場のない部屋の隅で静かに耐えている(ように見える)。自分の意思とは関係なく、この家に連れてこられてコウちゃんは不幸せだろうか。子どもが大きくなったら、泣き声は減るかもしれないけれど、今度は興味の対象として追いかけられるかもしれない。

 

育児中の悩みは、子どもの成長と共に解決する、と育児書に書いてあった。きっとそうなのだろうと思う。今は、今の時期だけ、しんどいのだろう。きっと、子どもが成長すると、きっと変わっていく。良い方に変わるものもあれば、悪い方に変わるものもあるかもしれない。でも、永遠に続くものはないはず。

私の足元のホットカーペットで、夫と遊べず寂しそうなコウちゃんの寝姿を見て、もうしばらく、辛抱してね、代わりに私がおやつあげるからね、とつぶやいてみる。

不妊治療中の年賀状問題

年賀状を準備する季節がやってきた。

 

端的に主張すると、私は不妊治療中、友達からの「子どもの写真付きの年賀状」を直視することができなかった。苦しかった。死にたくなった。でも、私が治療をしていることは全員には伝えていないし、大好きな友達たちだから、年賀状を受け取って嬉しかった。でもしんどかった。

破り捨てたい衝動に駆られたりとか、「もう今後は送らないで」と言おうかと悩み、いやいや、でもやっぱり近況の便りは楽しみだし・・・と答えが出ないまま頭はグルグルしてた。情緒不安になる私を見かねて、夫は、私宛に届く年賀状を隠した。ま、掃除したときにすぐ見つけちゃったんだけれど。夫の気遣いは嬉しかった。

 

居住している所は子育て世代がたくさんいる街なので、スーパー、駅前、至る所で子ども連れ家族を見かける。意外とそういうシーンを見ても私は精神的ダメージは受けなかった。私にとって問題なのは、「同世代・クラスメイト・知っている人が子どもを授かったかどうか」という点みたい。根が負けず嫌いなのね。競っても意味のない世界だと思い知らされてても悔しいと思ってしまう。

 

念願叶い、息子を出産できた今、その競争意識から解放されたと思う。Facebookの子どもと写っている写真も「いいね」ボタンを押せる心の余裕が生まれた。

でも、ボタンを押す前の一瞬だけ、以前の自分の存在を思い出す。幸せな家族写真を見てるのに、どうしても不幸せに感じてしまう人がいるんだと思い起こす。自分はその気持ちを知っているんだから、今後も、配慮ができる人でありたいと思う。

自分の老後を想像してみる

市内で高齢者の行方不明者が居て、もう1ヶ月くらい見つかっていない。児童館に貼られている「この人を探しています」の顔写真を見るたびに、辛くなる。

合わせて思い出すのは、高校生の時に、迷子になっていたお婆さんをたまたま見つけて、交番へ連れて行った時のこと。正確には、私は母が運転する車に乗って塾に向かうところで、お婆さんを見つけたのは母だ。

あまり交通量の多くない、運動公園のそばを走っていたとき突然母が「・・・今の人、様子が変だよね」と言って、Uターンした。私は宿題のプリントを読んでて気づかなかった。戻った先には、縁石に座っていたお婆さんがいた。

母がお婆さんと話して、近くの交番へ行きましょうね、と言って、お婆さんを車に乗せた。お婆さんは「ありがたやありがたや、神様が助けてくださった」と震える声で小さくつぶやいていた。お婆さんの服に血が付いていた。転んで鼻血を出したのかも、と私はそう思った。なんと声をかけて良いか全く思いつかず、隣に座りながら私は無言でお婆さんを見つめていた。

最寄りの交番(私にしてみれば、こんな所に交番があったのかと驚くような田畑の間にあった)には、ちょうどご家族の方が居て、警察と話しているところだったらしい。無事に見つかって良かった、と、簡単に手続きを済ませて母はすぐにまた車を発車した。もう辺りは薄暗くなり始めていて、車はヘッドライトを点ける。もしあの時、母がUターンしなかったら、お婆さんはあの後どうなっていただろう。

認知症の方が何を見ているのか、視線を記録する機械を使う研究の紹介をテレビで見たことがある。被験者は、一歩家の外に出ると、よく通っているはずの道なのに、次に進むべき道を見失う。道を道として認識できず、混乱して、道ではない所へ突き進む。その番組では、行方不明になっていたお爺さんが、民家と民家の隙間で餓死していた事例を出した。私はぞっとした。もし自分だったら?もし道が見えなくなってしまったら?

 

不妊治療で息子を授かり、この子が幸せに生きて欲しいと毎日願う。どんな生き方をして欲しいかと問われれば、「世界のどこかで、自分のやりたいことと、社会への貢献を、楽しみながら実践して生きてほしい」と答える。治療中からずっとそう考えてきた。なんせ、「なぜこんな辛い思いをしてまで子どもが欲しいのか」を何度も何度も自問してきたのだから。成人したら、自分のそばにいなくてもいい。可愛い子には旅をさせよ、だ。自分の面倒は自分で見るから。

一方で、もし自分の両親に何かあったら、すぐに飛んで行ってお世話したいという思いもある。可愛い子には旅をさせろ。子どもが自らそれを主張し大学進学から家を出て、以来地元に戻れていない。この歳になって、なぜ母が「大学(就職)は地元に・・・」「結婚相手は地元の人と・・・」と都度言っていたのか、その気持ちがやっとわかった。近い方が何かと便利で移動は楽で、気も楽なのだった。母自身も、遠いところから嫁いできたので、実体験の教訓なのだろうと思う。自立して生きるのが困難になったとき、誰かが手を引いてあげる必要がある。

 

自分に子どもができてから、近い将来に訪れるであろう両親のお世話のことと、自分の老後はどんなだろう、と考えることが増えた。ボケないとも言い切れない。入院生活の最後かもしれない。或いは理想のピンピンコロリかもしれない。どんなパターンでも対処できるよう、お金の備えと、諸々の手続きの知識と、物の整理をしておこうと思う。

自分の知能が低下している危機感・・・。

 

NHKラジオで英語学習をしているのだけれど、テキストに次の文章があって、頭に全然入ってこない。

 

"マインドフルネスの実践の効果に関する研究の科学的発見に興味があります。"

" So, I'm curious about the scientific findings of research regarding the effects of mindfulness practices."

 

「の」が・・・多くて・・・どこにどうかかってるっけ?さっきなんという単語が出てきたけ? 子どもが慣れない長文を読んでいる時のような心境。

 

乳児のお世話でほとんど家に引きこもってて、外出は公園とか児童センターとか整骨院とかスーパーとか。知的会話なんてどこにもない。こんな状態で職場復帰して周りの会話についていけるのだろうか、とても不安。

 

 

息子の成長 生後140日

本当は陣痛から出産の時のレポートとか

これを買って正解!猫のいる家の、おすすめ新生児のお世話グッズ とか

順を追ってブログ記事を書いていきたいと思っていたけれど

 

順番に、なんて悠長なことを言っていられないほど時が過ぎるのが早いので、とりあえず、今日、思ってることを書いておく。あとで記事の順番を入れ替えておこう・・・。

 

生後140日が過ぎ、

・後頭部の絶壁が気になってしょうがないのでお昼寝はうつぶせ寝を意識して実行中

・お腹と背中に乾燥性皮膚炎。お医者さん2軒目でもらった薬でとりあえず落ち着いてきた。

・完全ミルク育児だからか?きれいな成長曲線通りに推移してきた身長と体重。中央値と最大値の中間くらい。現在7.5kgを超えたところ。寝返りはまだしそうにない。

・週1回は児童館へ連れて行こうと奮闘。息子は場に慣れず顔がこわばる。しばらくすると、哺乳類の乳首をチュッチュしてる。(精神安定剤

・顔は私の父方のおじいちゃんKと、私の下の弟Tに似てる。TはKじいちゃんの亡くなった後に産まれたんだけれど、ご近所さんから「Kさんの生まれ変わり」と言われるほど似ていたそう。息子もその二人に似てるというわけ。

夫が、息子に自分の要素がなくてしょげている。

・夜泣きで困る、ということはないけれど、相変わらずミルク間隔が3〜4時間なので夜中(大人の就寝中)も2回くらい起きてミルクをあげている。夫と私、どちらか起きられた方が対応している。

 

以上、覚書。

 

 

ブログ記事の見た目を整えるスキルもいずれ習得したい・・・。

出産前に参考にしたウェブページ

どのページも大変お世話になりました。

 

NIPT受けました。夫の希望で、認可施設でカウンセリング・採血・結果確認しました。↓このページはカウンセリング中に受けた説明と近い内容だったので覚えとしてリンク。

niptjapan.com

 

 

↓陣痛が始まる頃の痛さって、実際に何秒くらいなのかを具体的に書いたサイトってこのページ以外見つけられなかった。珍しいので貼り付け。

あと、このページは、「いきむ」というのは「力のかけ方は、便を出すときのような要領です。」と具体的に書いてあった。そういうことを説明したページは他に見つけられなかった。なんでこれが検索最上位に出てこないのか。目からウロコ。

www.beginning-pregnancy.com

 

 

↓いろんなサイトで「陣痛の時は呼吸法をしっかり!リラックス!」って書いてあるけど、「呼吸法ってどうやるのか」「リラックスってどうやるのか」まで落とし込んで書いたサイトってなんでこうも少ないの?? このページで初めて「手をぎゅっと握った後、力を抜く」というやり方に出会った。

www.stemcell.co.jp

 

 

妊娠中、いろんな気になるキーワードで医師監修記事や体験談を検索しまくってましたが、「1つの記事が複数ページ(3~5ページとか)にまたがっている=広告だらけで読みにくい」というポータルサイトは極力開かないようにしました。(だってページを繰るのが面倒くさい)ex.womanmynavi あと、「続きはアプリで」とアプリダウンロードを勧めるページも。ex.mamariの一部ページ?

そうじゃないページ(ひたすら縦スクロールして読むページ)に大変お世話になりました。↓これはそのうちの一つ。いきみ逃しの方法が複数あったので参考にします。

192abc.com

 

 

↓体験談のページでひたすら読み続けられたのがこのページ。余計なアイコンとか編集とかなし。ちょっと懐かしいBBS風のインターフェースが寧ろサクサク読めて気楽。

baby-calendar.jp

 

 

体験談で一番怖かったのが「臨月の死産」。原因不明となることが多いけれど、原因がわかっているもののうち、母子共に命を落とす可能性があるのが「常位胎盤早期剥離」。私はこれにはきちんと気をつけようと思い、お腹の張りには敏感になっていました。↓この記事では張りの良し悪しの判断の目安が参考になりました。

st.benesse.ne.jp

 

以上

子どもが生まれた直後に行う手続き一覧と覚書

【前提条件】

・夫婦一般企業に共働き(組合健保)
・里帰り出産
・出産直後から、夫婦二人とも里帰り先で約1ヶ月新生児のお世話をする(住所地はその間不在状態)
→よって、夫は住所地での手続きが行えないので、ほとんどの手続きを郵送で行うこととした。

【考え方】
・一般的に全ての手続きは「子の健康保険証をいつ作成するか」を軸にしてスケジュールを組み立てていく。そしてそれは「1ヶ月健診に間に合うように子の健康保険証を用意する」ことを目標に、滞りなく手続きを済ませていくのが望ましいらしい。
・保険証の申請には、「子のマイナンバーが記載された住民票」を用意する必要がある。
・保険証の発行は申請後早くても2週間程度かかるらしい。
・里帰り出産をしている人は、速達で住所地に居る夫宛に母子手帳を送ったりする方法を取ることが考えられる。

・しかし、次の4つの理由から、私は子どもの健康保険証を1ヶ月健診に間に合わせることを諦めました。
(1)夫婦二人で新生児期(産まれてから1ヶ月間)を里帰り先で一緒にお世話することを優先したいから。
(2)出産予定先の産院では、2週間健診も実施しているから。つまり、そもそもその健診に保険証が間に合わないし、速達で母子手帳を送ったら2週間健診や1ヶ月健診時に用意できない恐れが大きい。
(3)健診費用は保険適用外。それでも"保険証が必要"と言われているのは、「もし何か異常があった場合に保険診療(例えば薬の調剤等)が発生したら、保険証があると窓口費用負担が軽減されるから」という理由だから。つまり、何も問題がなければ保険証は不要。
(4)もし保険診療を保険証なしで10割支払うことになっても、償還払いの手続きをすれば後で返金される手段はある。

・参考にしたページ↓

mamadays.tv

 

※ちなみに・・・里帰り出産をして、子の保険証を急いで作ろうとしても、以下の通り日数がかかるし結局住所地にいなければ手続きは完了できない。
1. 子が産まれてすぐ出生届を里帰り先の役所に提出
2. 1週間後に郵送で、里帰り先の役所から住所地の役所へ住民情報が送られる。
3. 住所地の役所で住民票作成手続きが行われる。(到着後およそ1~2日)→この後住民票の取得が可能
4. マイナンバー入りの住民票は、郵送での請求ができない。つまり結局は住所地の役所へ行かなければ入手できない。

 

※もし・・・夫が住所地にいるのであれば、子の保険証の作成の流れは以下の通りとなる。
1.子が産まれたらすぐ出生届を住所地の役所に提出→すぐその場で子のマイナンバー入りの住民票を取得 ※母子手帳の「出生届出済証明」欄は、後日に記入をしてもらえる。
2.会社の健保へ住民票と必要書類を提出。
尚、急ぎたければ保険証の発行までの間に使える「健康保険被保険者資格証明書」を発行依頼するということもできるそう。

 



以下、手続き一覧

1.【新生児連絡票】

・提出先:住所地の保健センター
・提出期限:生後7日頃まで(自治体のウェブサイトに記載)、生後14日頃まで(ハガキに記載)←とにかく速やかに出すようにということらしい
・提出方法:次のうちどちらか
(1)母子手帳別冊にある白いハガキを出す (2)電子申請

※覚書:
・新生児訪問の希望有無を回答する。後日電話がかかってきて日程を確定する。

 

2.【出生届(出生証明書とセット)】

・提出予定先:里帰り先の市役所へ持参(休日も受付はしてくれる書類だが、念のため開庁時間帯に行く)
・提出期限:出産して退院後(正常なら7日後)〜(出産日含めた)14日目まで
・持ち物:母子手帳、届出人(父)の印鑑、出生届を持参する人(子の両親以外でも可)の身分証明書

※覚書:
・読み方は正しくは「しゅっしょうとどけ」。でも「しゅっせいとどけ」と読んでも通じる。
・A3用紙の左半分が「出生届」、右半分が「出生証明書」でワンセット。
・左半分が自分で書くところ。右半分は産院が書く。
・右側に子どもの名前を書く欄があるけれど、空欄のままにしておく。
・用紙は通常は産院が用意してくれるので自分で用意する必要なし。
ただし私は予め書き込めるところは事前に書いておきたかったので、里帰り先の自治体のウェブサイトからダウンロード→コンビニでA3コピー て用意した。
・産院に、自前で用意した出生証明書に記入をお願いできることを確認済み。
・本籍を書く欄があり、正確な書き方を忘れたので、運転免許証リーダーアプリをスマホ(Android) にダウンロードしてNFCで読み取り、転記した。住民票を取り寄せずに済んで便利。
・「同居を始めた時」を書く欄があり。統計的なものらしい。
国勢調査の年は、0と5の付く年。
・提出先は、調べるといろいろ規定があるように見えるけれど、結局は国内どこの自治体に提出してもOK。最初からそういうふうに書いてくれればいいのに。
・書き方を参考にしたページ↓

https://www.city.kawasaki.jp/250/cmsfiles/contents/0000037/37114/file43.pdf

 

3.【児童手当金】

・提出先:住所地の市役所の子ども家庭課
・提出方法:郵送(事故予防のため書留にする)
・提出期限:出生日の月末まで、又は出生日の翌日から起算して15日以内(遅れると、遅れた月の手当は支払われない)

※覚書:
・一般的には市役所窓口へ持参するものだけど、私は郵送をする。
・次項4.と同封して郵送。(提出先が同一)
・夫婦のうち所得の高い方が「請求者」となる。
・毎年6月が年度更新月となる。6月分以降の児童手当等を受けるには、郵送される「現況届」で手続き更新が必須。

 

4.【乳幼児・子の医療費助成】

・提出先:住所地の市役所の子ども家庭課
・提出期限:出生後速やかに
・提出方法:郵送(事故予防のため書留にする)

※覚書:
・受給券を申請する。6月出生児分は出生日から有効期間を開始する。申請月の下旬〜翌月5日頃までに発送される。
・受給券が間に合わない場合、または対象外の医療機関であれば、市役所窓口で償還払い(医療費助成金交付申請)ができる。(支払日から2年以内)
・翌年からは7月下旬までに発送され、8月1日から有効期間開始。15歳になる年度末(3/31)まで。
・使い方:県内病院窓口で受給券と保険証の提示で、助成額を引いた金額で精算される。
・交通事故など第三者による怪我・病気の発症は、この医療費助成受給券を使用できない。
・学校管理下での負傷は「日本スポーツ振興センター災害共済給付制度」を利用する。

 

5.【新生児聴覚スクリーニング検査費用の助成申請(償還払い)】

・提出先:住所地の保健センター
・提出期限:検査料支払日から2年以内
・提出方法:郵送(簡易書留)

※覚書:
・助成限度額¥3,000
・受理翌月下旬頃、助成金の振り込み前に支給決定の通知文が送付される。
・振り込みは受理翌月末〜翌々月初め


以下は勤め先に提出する書類。(会社独自の書類含む)

 

6.【出生届(会社指定フォーム)兼 出産祝い金の申請】

・提出者:夫
・添付書類:出生証明書

 

7.【出産育児一時金(付加金)請求書】

・提出者:妻(共働きの場合、妻の保険からの給付)
・添付書類:直接支払い制度に係る合意文書のコピー(病院で記入したもの)、病院の領収書、住民票原本又は出生証明書のコピー
・補足:1児につき42万円支給

 

8.【出産手当金】

・提出者:妻
・添付書類:無し。
・補足:産前産後休暇の手当金。医師の証明と事業主の証明が必要。

 ↓参考にしたURL

www.smbc-card.com

9.【健康保険被扶養者異動届】

・提出者:夫(収入の多い方)
・添付書類:住民票原本(子のマイナンバーが記載されていること。被保険者との続柄が記載されていること。)
・補足:健康保険証の申請
尚、子のマイナンバーの確認方法は次の2つしかない。
(1) マイナンバー付きの住民票を取得する
(2) 住民登録後、約1ヶ月後に郵送で届くマイナンバーの通知書

 

10.【扶養家族異動届】

・提出者:夫(収入の多い方)
・添付書類:無し
・補足:所得税の扶養

 

11.【療養費請求書、療養費請求に伴う同意書】

・提出者:夫(子の扶養者)
・添付書類:医療機関の領収書原本
・補足:子の保険証の用意が間に合わず医療費全額を支払った場合に提出する。
健康保険組合への手続きを終えた後、住所地の自治体へ子の医療費助成の償還払い手続きを行う。


以上。いっぱいあるな・・・でもお金に関わることがほとんどだから漏れなくしっかりやろう。