出産時のメモ
出産前後、メモアプリに色々と書き込んでいたので転載。
伏せ字を使ってないのでご了承ください。
【出産前日夕方】
・腰が砕けそうな痛み。「・・・ぅあーーーーー」と声が出る。
【陣痛中】
・陣痛は まず、えずく衝動で全身に力が入り、力を抜いた直後、今度は凄まじい腰痛に襲われ それが数分間隔でやってくる
・もっと詳細に表現すると、まずチクチクとしたお腹の痛みから強烈なお腹の痛みになり 3回から10回くらい その波がきて その間 抑えきれない声を出しながら うずくまり すっと消えると その直後に 燃えるような 割れるような 痛烈な腰の痛みがやってくる。
助産師さんに腰を押してもらわないと のたうちまわるような状態を ひたすら 数分間隔 繰り返し続けた
それが夜の23時から昼の1時までずっと続いた。耐えた私。
・看護婦さんに「あと何回陣痛に耐えればいいですか」って尋ねるのが怖くて一度もしていない。時計も見ていない。お茶を飲む余裕がない。スマホを見る元気がない。(私から全く連絡が来ないのを心配した家族が病院に来ていた。) ただ時間が過ぎるのに身を任せていた。
・吐き気がすごくて常に洗面器を抱えてた。酸素マスクが吐瀉物で汚れるかもしれないと不安で、外す。元に戻す意識が持てなくて、マスクは常に外れてる。酸素がもったいないので、途中で止めてもらった。
・痛みの中 えずくような叫び声を出していた。胃液が出たときは 本当に吐けるんだと気付いた。陣痛中 全く汗をかかなかったけれど、 吐いた直後に大量に汗が噴き出した
・陣痛中、3時間ごとにトイレに行くように言われたけれど、洗面器を手放すのが恐怖で常に手に持ってたし、トイレ中に陣痛が来ないようにタイミングを図って行くようにするけどノロノロしてるから間に合わなくてやっぱりトイレ中に陣痛(吐き気)がきて本当にしんどかった。
・点滴の針を初めは右手にお願いしたけれど刺した直後に大きく腫れてしまったそうで 左手になりました。 右手の甲は内出血で黒くなり、血圧を測るたびそこがズキズキ痛みました。 内出血は出産後10日くらいで元に戻った
・陣痛中、定期的(1時間だったか2時間だったか)に内診をされる。内診は陣中の痛みがピークのときに行われる。その間は痛みをのがす姿勢は取れず、あおむけで身じろぎすることができない。陣痛の痛さ、腰痛の痛さ、呼吸の辛さ、いきむ辛さ 膣を触られる痛さ 全部同時に来て しんどかった。 けど、 あれがないと 分娩室へ行く判断がもらえないので頑張って耐えた。
尚、内診中、手持ち無沙汰の両手を 私は自分のおっぱいの上に乗せるのが癖です。なぜだろう。
・陣痛の中で、助産師さんが、分娩の練習をしようと言って、姿勢や呼吸を教えてくれたとき、たぶん、一度、うんちが出てる気がする。ゆるいやつじゃなくて、多少固まりだった感じがするから、それが不幸中の幸いのように思う。でも超申し訳ない
・陣痛中 お尻の痔が 花が咲いているような感覚があった。助産師さんが常にふわふわの大きい産褥パッド?で押さえつけてくれてたので、なりふり構っていられないしとりあえず破れませんようにと願っていた
・陣痛中の胎動は 内臓をえぐるような感覚
・臨月になると胎動が少なくなる(胎児が動けるスペースが少なくなってそう感じる)と聞くけど、私は逆で陣痛中とても激しく動いていたな
・"お産につながる陣痛"とは、"お尻にくるいきみ感(うんちしたくなる感覚?)"にならないといけないが、私の場合、ひたすらに腰の痛み止まりで、なかなか胎児が下に降りてくれなくて、時間がひたすらにかかった。さらに陣痛も、強いのと弱いのとが交互にくるのもダメらしく、それを教えてもらったときの絶望感。
【出産前の時系列】
6/20 4:00 前駆陣痛開始
午前中は約1時間ごとに1分半の陣痛あり
午後は約30分ごとに1分程度の陣痛〜徐々に15分ごとなど間隔が短くなる
6/20 23:00 産院へ入院 子宮口5センチ
6/21 6:00 子宮口5センチまま この7時間、ほぼ何も進展していないことに。
人口破水をする。ハサミが半分になったような医療用器具で破る。
6/21 10:00 人口破水してもほとんど進展なし。陣痛促進剤の点滴投与開始。
医師の説明と、同意書へのサイン。その直前に嘔吐。朦朧としてて、隣に座る医師に半ばよりかかりながら説明を聞いていた。
6/21 13:00 陣痛促進剤を1時間ごとに量を増やしていくも、大きな変化なし。内診時、医師の触診(ぐいっと子宮口を広げる?)で子宮口10cmになる。分娩台へ移動
【いざ、出産】
・陣痛の痛みが始まってから32時間、病院に入院してから13時間が経過した。胎児はなかなか降りてこない。が、ちょっとずつ降りてきはじめていた。何度目になるかわからない内診で、先生が子宮口にしっかり指をかけて押す。ものすごい痛みがきた。同時に股に何かはまったような強烈な違和感。助産師さんと先生が「これはもういけるか?うん、10cmになったね。よし、分娩室へ行きましょう!」と励まして私を抱き起こしてくれた。私は股の違和感で「ひぃ〜!!」って言いながら両腕を抱えられてひどいガニ股で歩いた気がする。スリッパなんか履いてられっか!裸足で歩いた。
・え?この股の状態で分娩台に自力で登るの?大丈夫?(赤ちゃんがずるんと落ちてきたりしないよね?的な意味で) と不安だったけどなんとか這い上がった。
・やっとの思いで寝転がった私の周りでバタバタと看護師さんが6人くらい入り乱れて準備を進める。その間にも陣痛はくる。準備がまだ完全に終わってない中でも、助産師さんは、「もう思い切りいきんでいいですよ!」と言う。え?大丈夫?赤ちゃんがずるんと出てきたりしない?とここでも思ったけれど、それは経産婦さんのような場合はあるかもだけど私は違うだろうと頭を切り替えて思い切りいきんだ。でも全く進んだ気がしない。
それを見て取った看護師さんたちは、私のお腹を押す作戦を始める。私の頭側に一人正座で座る。私は膝枕をさせてもらっている状態。この看護師さんが陣痛に合わせて私のお腹を両腕で押す。
・出産の時の呼吸法
1。痛みがジワジワジワと迫ってくる
2。吸って吐いてを2回
3。息をたくさん吸った後、(ここで痛みがMAXになるタイミングに合わせて)息を止めて全身の力をお尻に向けて力む
4。息を止めるのが苦しくなったら素早く息を吐き出し直後にまたたくさん息を吸って息を止めて力む。陣痛の強い痛みがある限りこれを繰り返す。
・・・のだが。
私はこの4番の動作がどうしても難しく、なかなか胎児が進まない。とても苦しい時間だった。
分娩台の上ではだいたい1時間くらいいた。後半になると、だんだん要領がわかってきた。要は、”強い痛みの最中”に、力を込められれば良い。初めの頃は1つの呼吸を長くすることが大事なのかと思ったけど、それだと自分はどうしても長く持たないので、強い痛みの最中に、2〜3回のいきみをするようなパターンで進んだ。
・胎児が産道を進むと、その後の陣痛の合間で ものすごい腰の違和感があって、それが嫌で腰をひねると 進んだ胎児の頭が引っ込むらしい。つまりその違和感を我慢しないと 次にくる陣痛までまた振り出しに戻ってしまうわけ。でも我慢できる違和感ではない。
【出産直後】
・出産の瞬間 本当に 自分の股の 膣の 直径10cmから 胎児の頭を引っ張り出すんだなと
・生まれた瞬間 泣き声聞けてよかった
・初めて抱っこ(顔の横に置いてもらう)のとき、あったかいって思った。
手の指がとても細くて でも 全部の指に爪が生えてて 可愛いと思った
・我が子って可愛い顔してるように思える
・赤ちゃんの手が白いのは 外に出た時 空気に触れて 化学反応を起こしているためだと看護師さんに教わった。しばらくしたら通常の色に戻るそうです
・胎盤がなかなか出てこなくて30分以上 先生にお腹を押されるのが痛くて「いてててて・・・」と言ってた。押されるたび、じょばじょばじょばーと血液が音を出しながら出てきた。(これにより貧血となる)
不妊治療で妊娠した場合に、胎盤が癒着してなかなか剥がれないことがままあるらしい。
・胎盤が出た後も 傷口を縫うのが30分以上かかってて 先生汗だくだった。
会陰縫合の糸は、感覚的にねじを巻いたワイヤーのような感じだった。縫うときに針を刺して引っ張るとギュルギュルギュルーっと音と感触があり 怖かった。
・分娩が終わったあと、しばらく 膣を内診されるときの感覚や、赤ちゃんを取り出すために直径10cmの穴を 一生懸命覗いて指を入れる助産師さんや、会陰切開をする先生の持つハサミ(というか小さいナタのような形だった)とか思い出す
・縫合などの処置が終わって、しばらくお腹の上に、保冷剤を乗せられる。「お腹を冷やすの、嫌なので、取ってほしいです」とお願いしたけれど、冷やさないとダメだと看護師さんに説明された。そうなのか。
・ペットボトルのお茶を何度飲んでも口の周りが干からびていた。そのあと、夫や母に電話をしたとき、声がガラガラだったことに驚かれた。
・分娩後、気持ち悪い と感じてた。吐きそうな気持ち悪さじゃなくて、この後 体がちゃんと機能するだろうかという不安で 気持ち悪いと言ったのだと思う。
気を抜くと呼吸が自然と止まってしまいそうなくらい疲れてた。仰向けなのと、疲れてるのと。肺が空気を出したあと、吸う力が弱くて。疲れてて。
【分娩室から自分の個室へ移動】
・子宮収縮すごい。上を向いて寝ていると お腹の上に時限爆弾が乗ってるみたいで ドクンドクンと脈打ってるのがよくわかる
・会陰縫合の傷口が痛い
・出産から6時間経っても、膣を圧迫される感覚が消えない
・出産後って高熱が出るんだ・・・38度超え。あと、顔が腫れてる。
・入院の日の夕食を家で食べてこなかったため、翌日の朝も昼も何も食べないまま14時の出産に至った。その後夕食を出されるも、食欲がなく、また貧血のため体を起こすことが許されないので 食べにくく、食事はしんどい (※食事は7日後に退院するまでずっとしんどかった。15分くらいで頭がぐらぐらし出すので横になって休憩・・・を繰り返すので、1時間以上かかる。)
【出産翌日】
・あごが痛い。 陣痛中に歯をくいしばりすぎた。 看護師さんに湿布をもらって あごに貼る。異様な目で見られた。あごが痛くなる産婦さんって珍しいのか。
あご以外にも、首筋、背中など体の節々が筋肉痛。
・不妊治療をずっとしてきたから、股間の痛みは あまり意識しないようになった。
・私以外に陣痛がきてる人がいなくてラッキーだったと思う。助産師さんがつきっきりで腰を押してくれなかったら怖さで発狂してたかもしれない
・隣の部屋の赤ちゃんの声が聞こえる とても可愛い声
・会陰を縫ったところが ひきつる感じ。昨夜の痛み止めの座薬の効果が切れてきた。咳をすると会陰が少し痛む。
・陣痛中の点滴はブドウ糖。出産後の点滴は鉄剤。鉄剤の点滴後、腕が熱を持つようになり、触ると痛いので、保冷剤と湿布をナースステーションからもらった。
・お腹をさわったら 平らになってて 久しぶりだなあと思った
・寝たきりなので色んな物やゴミはベッドの上に散乱しています。枕元には陣痛中ずっと一緒だった洗面器。もはや私にとってお守り。見ると安心する。
・座る練習 頭がふらふらします
・会陰の傷跡 少し痛いけど お産パッドとベッドのふわふわで とりあえず座れてます
食事は 左手は体を支えるためにベッドについているので 右手だけで食べる。
・貧血で起き上がれない間、歯磨きもできないので ガムを食べてやり過ごす
・初めてトイレへ歩いて行った。おまたが腫れててちょっとびっくりした。おしりも膨らんでた。臨月には絶対なかった、大量のおしっこが出て、膀胱にこんなに入るんだとびっくりした。あと、カテーテルを抜いたあとだからなのか、おしっこの最後に空気が出てきて驚いた。トイレから出ると、汗だくになっていた。
【赤ちゃんのお世話】
・初めて授乳の練習。かみつかれて痛かった。ミルクもあげた。看護師さんによると、この子はあまり飲むやる気がないとのこと。(のちに黄疸のためぐったりしていることがわかる)
・授乳すると子宮が収縮してるのか、ズキズキ痛い。
・へその緒は白くてぷにぷにしていた。飼い猫の肉球より柔らかかった。
【出産3日後】
・おっぱいが痛くなってきた。人生初の爆乳。パジャマが濡れるほど汁は出てきてる。
夜、シャワーに入るため裸になって屈んだら、乳首から母乳がポタポタポタと流れ落ちてきてびっくりした。え。吸わなくても出るものなんだ。
・看護師さんが見ていないところで、初めて赤ちゃんのお世話。あ、泣いた。まずおむつを交換。ひー、足がポキンと折れそうでこわいー やっとの思いで初・一人でオムツ交換。汗だくになっていた。
メモや思い出したことは以上。
不妊治療助成金の申請 & 出産した年の確定申告
千葉県の特定不妊治療費助成制度を利用。
・申請書(自分で書く。簡単な事項)
・証明書(不妊治療院に記入してもらう。最大で3週間かかります、と言われて2/16に依頼してきたけど2/25に届いた。作成依頼に¥2,200+¥550(輸送費)必要だった。 ※¥550払ったけど返送には普通封筒の書留で¥404だったんだが・・・もやもや。)
・住民票(¥300)(マイナンバーカードを使ってコンビニで取得)
・戸籍謄本(¥450)(マイナンバーカードを使ってコンビニで取得)
・銀行口座がわかるもの(私はネット銀行なのでキャッシュカードをコピーして同封)
以上を封筒に入れて簡易書留で出す。3/31消印有効。
送付前に、管轄の保健所に電話した。(千葉県の助成制度概要欄に"郵送するなら事前に電話して"と書いてあったから素直に従った私。)電話口の担当の方はお詳しい印象。「現住所は結婚した時に住んでいた住所かどうか」を確認された。結婚以降、何度も引っ越しをすると戸籍謄本と住民票の住所の整合がとれないのかな?
今回、凍結胚の移植の費用(約30万円)の助成を申請(区分C)したので、助成金は10万円になるはず!
2. 確定申告
令和3年度には、下記のような医療費が発生しました。私+息子で約150万円。
・妊婦健診
・出産
・出産後の検診
・通常の通院(歯科、皮膚科、内科など)
・整骨院
・漢方薬
医療費控除の対象になるものとならないものを、自分に関連しそうなところだけ調べました。
【医療費控除の対象になるもの(確定申告の医療費リストに入れるもの)】
・妊娠と診断されてからの定期検診や検査などの費用とその通院費用(助成される分は除く※1)
・出産後の検診の費用(※2)
・出産で入院するときのタクシー代
・病院に対して支払う入院中の食事代
・凍結胚更新費用
※1:自治体からの助成 約10万円+聴覚スクリーニング検査の助成金3千円。
※2:1週間健診、1ヶ月健診に補助はなかった。
【医療費控除の対象にならないもの】
・里帰り出産のための実家へ帰省する交通費
・入院用のパジャマ、洗面具など身の回り品
・病院外でとった出前や外食費
・人間ドック、がん検診 ※この検診で重大な病気が見つかって治療をしたら控除の対象に入れられる
【医療費から差し引かなければならない費用】
・出産育児一時金(42万円+α) 私の健保は、α=6千円でした。
・高額療養費(出産入院費用で自分が払った保険診療金額のうち3万円を超える分を健保から支給された)
・保険金など(自分で契約してる医療保険から15万円、会社の医療保険から9千円)
↓参考:あきる野市のページが簡潔
https://www.city.akiruno.tokyo.jp/cmsfiles/contents/0000012/12192/kakikata.pdf
【医療費から差し引かなくて良い費用】
・出産手当金(私の場合80万円だった。給与がバレる・・・・)
医療費150万円から助成金など約90万円を差し引いて60万円になりました。
(1年で60万円も出してたのか・・・。)
節税について実はあまりよく理解していないのですが、どこかのサイトのコピペをさせてもらうと
・所得税の節税額:500,000円×20%=100,000円
・住民税の節税額:500,000円×10%=50,000円
ということになる?のだろうか???ここのとこよくわからない。
以前、年間医療費90万円で確定申告したときは、翌年の住民税は6千円/月(=年間7.2万円) 減っていたから、↑の計算式は年間の節税額なのかな?
育休を新生児期から夫婦で取得して良かったこと
息子:6月21日(月)昼生まれ
夫:6月22日は会社で仕事の調整
6月23日から育休を取得し、私の実家へ移動
私:6月28日(月) 息子と一緒に産院を退院
※夫は私のいない私の実家で5日間過ごした
7月28日(水)に私の実家から、居住地へ新幹線+タクシーで移動。
それ以降、居住地で、夫婦で息子のお世話をする。
1. 良かったこと
・夫婦間で"指示する/される"の上下関係がない
・夫婦どちらでもどんなお世話もできる。自信がつく。
・気づいた方が自主的に動く。当事者意識がある。
・平日も休日も関係なく体が動く
・育児でわからないこと、不安なことは、二人でそれぞれ調べたり各自の考えを共有したりしてるので、情報源や見方が偏らず、客観視できる。
・自分がもう一人いる感じで育児ができる。
・お互いが育児している写真や動画を撮影できる。(ママ友が、「自分が子どもと写っている写真が少なくて悲しい」と言っていて、自分はそうではないことに気づいた。)
2. 留意すること
・出産後、母体には色々と特殊技能が身につくらしい。子どものギャン泣きへの耐性、子どものうんちの匂いへの耐性が、不思議と夫より勝る。
「母体とはそういうものなんだ」と思うと、夫が苦しんでる姿を度々見るようになってもスッと受け入れられるし、「じゃあそれは私がやるから休んでて」と言いやすい。
3. 補足
・出産前に、東北大学のコペアクラスを受講していたことで、夫婦間の「育児はこうあるものだ」という考えを共有できていたことも、"協力して育児に取り組めている"という実感につながっていると思う。
・夫が綺麗好きなこともあり、私がぼーっとしている間も床掃除したりキッチン掃除したりしてて、いろいろと家の中が維持されているのだと思います。
・息子が7ヶ月になって夫が呟いたのは
「洗っても洗っても、洗い物がでてくる」
「こりゃあ仕事してた方が楽だわ。ほんと。」
ということなので、やっぱり育児は特殊な労働だと思います。
"二人で" "最初から" 取り組んでいるから、弱音が出ても共感できるし、体が疲れているのは理解できるし、今何が必要なのかピンとくるので衝突も(あまり)無く、過ごせています。
夫婦で育休を取得して本当に良かった。
東北大学のコペアクラスのページを参考までにリンクします。
アベノマスクの活用方法 〜妊活&出産直後に〜
アベノマスク、たくさんもらったはいいけどガーゼマスクはウイルス除去力が心もとないからこれ付けて外行けねぇしな・・・
ちょうど初めての妊娠で母子手帳をもらった直後にコロナが始まり、普通の人がもらう以上に自治体から多めに届きました。(その時は流産したので途中でお断りの連絡入れました!)
山のようなガーゼマスク、どうしよ・・・そのまま捨てるのもなんだかなあ・・・と思ってました。で、次の使い方をすることで有効活用しました。
【使い方例】
1)母乳パッドとして使う
2)布ナプキンとして使う
1)流産後、何回目かの移植で無事に妊娠継続をして、出産を控えた頃。病院からの「入院グッズリスト」に載っていた「母乳パッド」を見て思いつきました。
「これ、マスク使えるんじゃね?」
ゴム紐をハサミで切り落とし、ガーゼ部分をブラの中にイン!実際に使ってみて、いい感じでした!洗面器でもみもみして洗濯すれば繰り返し使えました。母乳パッドを買う前のお試しとしてちょうど良かったです。
※尚、私の場合は母乳がよく出たのは入院中の数日間だけで、あとはほとんど出なかったので母乳パッドは結局買いませんでした。
2)無事に出産を終え、生理が再開して、次の移植準備を進めて、ウトロゲスタン膣座薬の投薬が始まり、おりものシートのテープが薬の作用で溶けてショーツがダメになる問題がまた頭を悩ませる頃・・・
「あ、これ、マスク使えるんじゃね?」
布ナプキンのような感じでショーツに載せる。汚れたらポイ。マスクは分厚いのでショーツも汚れないし、いい感じでした!特に動きの少ない夜の挿入後がズレる心配が少なくていいかも。
布ナプキンも並行して使ってみましたが、めんどくさがりなので使い捨てのマスクの方が気が楽でした。
出産直後の産婦さん、高度不妊治療をしている妊活中の方、もしアベノマスクがおうちに眠っていたら、母乳パッドや布ナプキンの代わりに使ってみてはいかがでしょうか。
デジタル断捨離の案
父が電子系の仕事をしていた関係で、同世代の中では珍しく早くからパソコンを触る家庭に育った。兄弟の中で一番興味を示した私に、父は98年に発売された初代iMaxを買い与えてくれた。中学生の時だ。
大学入学頃、世の中にはデジカメが発売され始めた。(当時の1枚あたりのデータは良くて600KBとかそんなもん。フラッシュメモリ2MBが主流だった頃。今じゃ考えられない。)それから年を追うごとに技術の発展は目覚ましく、スマホで数MBの写真がバシャバシャ撮れる世界になった。
というわけで小・中学生時にMacで書いたお絵かきとか、オタク時代に集めまくったファンアートとか、旅行の時の写真データとかが、あちこちに散らばりまくっていてどうにかしたいなとずっと思っていた。
社会人になってからは、プライベートでは書類データはほとんど増えない。旅行をすれば、少し写真を撮るくらい。最近では、子どもが生まれたので、スマホで写真や動画を撮ることが増えた。だから、スマホのデータ空き容量がすぐいっぱいになる。
あと、スマホってパソコンみたいにデータ保存場所を自分であれこれいじれないのよね!これが地味に気になる。DataフォルダとかLINEフォルダとかに、同じ日に撮影した子どもの写真がそれぞれ入ってるとモヤモヤしちゃう!!
データ管理のルールを早いとこ決めないと、スマホが使い物にならなくなる焦りが出てきて、やっと重い腰をあげる気になってきた。ということで今日思いついた案を備忘のため書いておく。
★管理の目標:数年後にもいつでもすぐアクセスできる場所に、手持ちのデータを全てまとめて整理しておいておきたい。できたらお安く。
色々なオンラインストレージサービスを比較して、とりあえず今日のところは次のように決めた。
1)子どもの写真・動画 ・・・ スマホアプリ「みてね」に全部上げて、スマホ内からデータは削除する
・「みてね」の無料/有料プランの差は、主に"3分以上の動画を投稿できるかどうか"。3分の動画ってほぼ撮らない。なので無料プランのままで使い続けることが可能。
・使用可能なデータ容量は無制限。本当に今後もずっと無制限で使えるのだろうか・・・一体いつまで今のサービスが続くのか不安はあるが、とりあえず現状は使いたい放題ということになる。
2) 1以外のデータ(大学の卒論データとか独身時代の旅行写真とか) ・・・ 海外のオンラインストレージサービス「box」を利用する。
・日本語版はビジネスプランのみなので、直接英語版の無料プランでアカウントを作成。
・写真だけでなくもちろん書類データも投稿可能。無料プランの容量が多め(10GB)なのと、もしずっとアクセスしなくてもアカウントを勝手に削除されることはない点が魅力。
・ただし、インターフェースは写真管理には向かない感じ。サムネイルが小さい・・・。今後機能追加されたらいいな。
hotmailを作成したときについてきたOneDriveと、同じくGmailを作成したときについてきたGoogleDriveにいろんなデータが闇雲に突っ込んであるので、まずはそれらを手持ちのMacbookに落とし、boxに上げていく・・・という作業をしていく。
学生時代にデジカメで撮りまくった写真データは、CD-R(懐かしい!)に焼いて実家に置きっ放しなんだけど・・・もうデータ消えてるかな・・・。拾えるものなら、それらもいつかboxに入れておきたいなと思う。
CD-Rなんて、劣化してしまうともうデータは手の届かない世界に消えてしまう。早くオンラインに上げておけばよかったのにな、と今は思うけれど、当時はその手段がなかったので諦めるしかない。ネガさえあれば焼き増しできるアナログ世界も悪くはないかもね。保存方法さえきちんとしてればね。
でも、ネガにしても、HDDにしても、一軒家とか倉庫とか持つ気がない自分には、実存する物だと引っ越しのたびに運ぶダンボール箱が増えていってしまうので、現実的じゃない。だからオンラインストレージに上げておきたい。
そんで、デジタル世界に生きる息子には、データ管理のルールを自分でちゃんとやってもらいたいな、と思う。
夫は、息子が生まれた日に、Gmailアドレスを1つ息子にプレゼントした。少し大きくなったら、使い方を教えていこうと思う。
不妊治療中の薬の飲み忘れ予防方法
私はホルモン治療法で不妊治療をしています。
飲み忘れないように、ちょっと手間だけど次のような工夫をしています。
これがもらった薬(の一部)
こういう小袋を用意。
シールには1〜31の日付を書いてあります。
一回分ずつに分けていく。
これが分け終えたところ
袋に詰めていきます。
朝、昼、夜 の1日3回飲むタイミングがあるので、
朝の分→赤シールのついた小袋
昼の分→そのまま大袋へ
夜の分→青シールのついた小袋
というように分けています。
以前は緑シールで昼の分の小袋を使っていたこともありましたが、昼は薬が無い事もあったので、使うのをやめました。
これが1日分です。
絶対に飲み忘れをしないように、2日分くらいをまとめて通勤カバンに放り込んでおきます。朝のバタバタで持ち歩くのを忘れると大変だと思って、こういう形に落ち着きました。
あと、日によって飲む薬が増えるので、何錠だっけ?飲み間違えてないよね?と混乱する時間がもったいなかったので、予め分けておくのは精神的にも時間的にもメリットがありました。
育休を取得した夫と飼い猫の受難
私たち夫婦は職場結婚。二人とも入社して10年以上経ち、やっと子どもを授かった。
中堅社員となっていた夫は育休を1年取得した。古い考えの上司たちは「1ヶ月の間違いでは?」と言っていたそうだけれど、自分の仕事の調整は自分でできる夫。出世欲の無い夫。失うものは大して無いことが分かっているから、上手に取り回して、息子が生まれた翌々日に、私の実家に飛んできてくれた。
「夫が育休を1年取得してくれたの」と私が知人に話すと「旦那さんすごいね(会社と交渉を上手にしたんだね)」とか「しっかりした会社なんだね(制度が整っているんだね/取得できる社風なんだね)」などの感想を頂ける。ま、復帰した後、どこに飛ばされるかわからんけどね、と私たち夫婦は冗談半分・本気半分で思っている。でも育休を取得して会社にどうこうされたとしても、人生なんとかなると考えているのは夫婦で一致している。
飄々と難題をくぐり抜けて器用に見える夫だけれど、うまく対処できないこともある。これまで育児中に2回嘔吐し、3回寝込んでいる。
夫が嘔吐した理由は、1)私の母が息子を抱っこしたとき 2)息子のうんちの匂いを嗅いだ時。
は? と思う人もいるかもしれない。私がそうだ。え?そんなんで吐くの?でも本人はマジだった。瞬間的に気持ち悪さがこみ上げてきたらしい。そういうものかー、生理現象は対策難しいなあ。
寝込んだのは、1・2)夜間のミルクのお世話担当を何日もしていたとき 3)息子が金切り声を出し始めた時。 夜型人間だからと、夜勤(夜中じゅうずっと起きて、明け方に就寝する生活)をし続けていたら、人間は壊れるようにできている。夫は高熱を出してそれぞれ3日ほど寝込んだ。自律神経を甘く見てはいけなかった。2回も寝込んでからは、夜勤生活はやめてもらった。夫婦で揃って、3時間おきのミルクのタイミングで起きてお世話をしている。
金切り声で寝込むのは当初私は「繊細すぎない?」と落胆した。でも、ぎょっとするほど夫は消耗しきっていた。社会人の娘さんがいる知人に、「夫が育児ノイローゼになったみたい」と相談したところ、「私も自分が子育てをしている時は、赤ん坊の声なんてへいちゃらだったのに、自分の子供が大きくなって、他人の赤ん坊のキンキン声を聞くと今はもうどうしても無理なのよ。きっと、産後のママの体には、耐性がついているのかもね」という話をしてくれた。ストンと腑に落ちた。そっか、私が平気でも、夫にとっては、とてもとても耐えられないものなのかもしれない。
丸二日真っ暗な部屋で寝込んでいた夫は、ヘロヘロになりながら出てきた。今もまだ、耳栓をしながら生活していて、息子とは別の部屋で寝ている。
猫のコウちゃんは、生後3ヶ月半で我が家にやってきた。最初は人に慣れず怖がっていたけれど、今は私たち夫婦が近づいても怖がることはなくなった。特に、おもちゃやおやつをたんまりくれる夫を気に入り、顔を見るたび構って欲しいとせがんでいる。
ところが、今の育児ノイローゼ気味の夫には、コウちゃんの「構って」攻撃がさらに彼を追い込むようになってしまった。今までは都度相手をしていた夫も、もうその余裕がない。コウちゃんが近づけないように、自室に籠るようになった。彼の部屋からかすかに響いてくる足音を聞きつけるたび、コウちゃんは何度も鳴いて呼ぶ。その声が夫を刺激しないよう、私はおもちゃでコウちゃんの気を紛らす。エンドレス。
猫はうるさい場所は苦手だ。人間の赤ちゃんが泣きわめきだすと、耳を伏せて逃げ場のない部屋の隅で静かに耐えている(ように見える)。自分の意思とは関係なく、この家に連れてこられてコウちゃんは不幸せだろうか。子どもが大きくなったら、泣き声は減るかもしれないけれど、今度は興味の対象として追いかけられるかもしれない。
育児中の悩みは、子どもの成長と共に解決する、と育児書に書いてあった。きっとそうなのだろうと思う。今は、今の時期だけ、しんどいのだろう。きっと、子どもが成長すると、きっと変わっていく。良い方に変わるものもあれば、悪い方に変わるものもあるかもしれない。でも、永遠に続くものはないはず。
私の足元のホットカーペットで、夫と遊べず寂しそうなコウちゃんの寝姿を見て、もうしばらく、辛抱してね、代わりに私がおやつあげるからね、とつぶやいてみる。