【ワタルトコウ】 不妊治療〜出産育児の覚書

妊活4年。うち高度不妊治療歴2年。別居も稽留流産も経験。子どもを諦めかけて引越し&猫を飼い始めた所、妊娠継続でき、2021年6月出産しました。

自分の老後を想像してみる

市内で高齢者の行方不明者が居て、もう1ヶ月くらい見つかっていない。児童館に貼られている「この人を探しています」の顔写真を見るたびに、辛くなる。

合わせて思い出すのは、高校生の時に、迷子になっていたお婆さんをたまたま見つけて、交番へ連れて行った時のこと。正確には、私は母が運転する車に乗って塾に向かうところで、お婆さんを見つけたのは母だ。

あまり交通量の多くない、運動公園のそばを走っていたとき突然母が「・・・今の人、様子が変だよね」と言って、Uターンした。私は宿題のプリントを読んでて気づかなかった。戻った先には、縁石に座っていたお婆さんがいた。

母がお婆さんと話して、近くの交番へ行きましょうね、と言って、お婆さんを車に乗せた。お婆さんは「ありがたやありがたや、神様が助けてくださった」と震える声で小さくつぶやいていた。お婆さんの服に血が付いていた。転んで鼻血を出したのかも、と私はそう思った。なんと声をかけて良いか全く思いつかず、隣に座りながら私は無言でお婆さんを見つめていた。

最寄りの交番(私にしてみれば、こんな所に交番があったのかと驚くような田畑の間にあった)には、ちょうどご家族の方が居て、警察と話しているところだったらしい。無事に見つかって良かった、と、簡単に手続きを済ませて母はすぐにまた車を発車した。もう辺りは薄暗くなり始めていて、車はヘッドライトを点ける。もしあの時、母がUターンしなかったら、お婆さんはあの後どうなっていただろう。

認知症の方が何を見ているのか、視線を記録する機械を使う研究の紹介をテレビで見たことがある。被験者は、一歩家の外に出ると、よく通っているはずの道なのに、次に進むべき道を見失う。道を道として認識できず、混乱して、道ではない所へ突き進む。その番組では、行方不明になっていたお爺さんが、民家と民家の隙間で餓死していた事例を出した。私はぞっとした。もし自分だったら?もし道が見えなくなってしまったら?

 

不妊治療で息子を授かり、この子が幸せに生きて欲しいと毎日願う。どんな生き方をして欲しいかと問われれば、「世界のどこかで、自分のやりたいことと、社会への貢献を、楽しみながら実践して生きてほしい」と答える。治療中からずっとそう考えてきた。なんせ、「なぜこんな辛い思いをしてまで子どもが欲しいのか」を何度も何度も自問してきたのだから。成人したら、自分のそばにいなくてもいい。可愛い子には旅をさせよ、だ。自分の面倒は自分で見るから。

一方で、もし自分の両親に何かあったら、すぐに飛んで行ってお世話したいという思いもある。可愛い子には旅をさせろ。子どもが自らそれを主張し大学進学から家を出て、以来地元に戻れていない。この歳になって、なぜ母が「大学(就職)は地元に・・・」「結婚相手は地元の人と・・・」と都度言っていたのか、その気持ちがやっとわかった。近い方が何かと便利で移動は楽で、気も楽なのだった。母自身も、遠いところから嫁いできたので、実体験の教訓なのだろうと思う。自立して生きるのが困難になったとき、誰かが手を引いてあげる必要がある。

 

自分に子どもができてから、近い将来に訪れるであろう両親のお世話のことと、自分の老後はどんなだろう、と考えることが増えた。ボケないとも言い切れない。入院生活の最後かもしれない。或いは理想のピンピンコロリかもしれない。どんなパターンでも対処できるよう、お金の備えと、諸々の手続きの知識と、物の整理をしておこうと思う。