【ワタルトコウ】 不妊治療〜出産育児の覚書

妊活4年。うち高度不妊治療歴2年。別居も稽留流産も経験。子どもを諦めかけて引越し&猫を飼い始めた所、妊娠継続でき、2021年6月出産しました。

多くの人が穏やかな気持ちを持てるように私は人に接したいと思う。

最寄りのスーパーに、40代くらいの知的障害?の息子さんの車椅子を押す、60代くらいのお母さんを時々見かける。

お母さんは、首がかっくんと曲がっていて、下を向きながら食材を選んで車椅子を押している。

誰とも目を合わせないようにして、長いこと、生きてこられたのかな、と思う。

 

もし20代や30代で、知的障害を持つ子どもを育て始めたら、どんな人生を歩むのだろう。そして、自分が年をとり、子どもも年をとり、その先、どうなるのだろう。

 

これまでの色んな記憶を思い出す。

まず最初に思い出すのが、教員免許を取るために向かった実習先、高齢の知的障害の人たちのグループホーム。実習の一番最初に設立の経緯を説明するビデオを見た。「子どもを看取ってから死にたいという設立者の言葉があったでしょう。親が自分の子どもの死ぬところを見たいだなんて、普通は思わないよ。」大学生だった私は、施設長のその言葉を聞いて背筋がピンと伸びた。ここは多くの人の強い願いがあってできた場所なんだ。

 

親子心中とか、あるいは突然死+餓死とか、そういう事件も思い出す。どんなに辛い気持ちを持って生きていたのだろう。

 

現在のところ、私も子どもも自立していけそうだけれど、いつ病気や事故で生活が変わるかも分からない。毎日、今日は幸せだったね、と振り返り感謝したい。そして、今、苦しい人には、暖かい気持ちになれるような、そんな瞬間を共有したい。みんなが幸せになるにはどんなことができるだろう、と思う。